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 この所、生鮮食料品における表示に不信が持たれている。言うまでもなく発端は狂牛病問題であり、政府の対応につけ込み会社の利益を企んだ某有名ブランドの付いた食品会社による商品ラベルの偽装事件が明るみに出た事による。

 いつの頃からか、日本人は人との接触が疎ましくなり、人に干渉されずに商品をゆっくり見たいと思うようになった。そこに目をつけ、登場したのがスーパーマーケットであった。人々は殺到し、あっという間に専門小売店を廃業へと追いやってしまった。  しかし、客は自由に商品を見ることは出来ても、その商品知識は判らない。そこで品質表示なる制度が出来、消費者は賞味期限や原材料を確認することが出来るようになる。
 ところが、今回の事件でこれらの記述の信憑性が疑われ始めている。

 スーパーマーケットはアメリカのような広大な土地で、広い店舗と駐車場を兼ね備えた車社会のなかで誕生した。多種多様の民族が暮らすアメリカに人を「信用」する程の余裕はなく、未だに銃を手放せないでいる。従って「契約」という形でしか社会を纏められず、だから契約違反は厳しく罰せられる。 対して日本は単一農耕民族国家であり、人が協力して事にあたる必要や儒教の影響もあって「信用」だけで通用する社会が定着してきた。

 従って店の主人を信用して商品を買い、その信用が店のブランドとして企業を育ててきた。日本人の多くは商品に貼付される表示にはあまり関心を示さない。しかし、商品の事を聞こうにもスーパーでは店員に多くを望めない。そこに降って湧いた産地名偽装事件等々。

 消費者は偽装表示をした食品会社に対する非難は当然であるが、それらの食品を扱った店をも非難する土壌がある。 日本は昔の対面販売に戻り、店員や主人といろんな会話をする事によってその商品の事を知り、納得の上で買い物をする時代が再び訪れる事を期待したい。 何せ、毎日嘘をつき続ける事は無理なのだから・・・・  

 
平成14年3月7日  組合 高田


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